Cants Magics

わたしの指で わたしの心で 魔法の歌を 奏でたい ―― 素人ピアノ弾きの綴るピアノに関するあれこれ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/-- -- | スポンサー広告 |permalink
今までのレッスンを振り返る(再開後・後編)
再開後のレッスンについての続きです。なぜこんなことを書いているかというと、これを書かないと今後のレッスン日記が書けないと思っているからだったりします(笑)でも、書き始めるとどうしても長くなってしまいますね ダラダラと申し訳ないですが、よろしければもう少しお付き合いください。

◆曲の熟成
私のピアノ教室では毎年11月に発表会があります。生徒は全員参加ということで、私も出ることになりました。2006年2月頃、発表会の曲について話していたら、先生からこんな提案をされました。
「今レッスンしてる『水の反映』、この曲を発表会で弾いてもいいんじゃない?今でも十分仕上がってきてるから、少し寝かせておいて発表会前にもう一度磨くってのはどう?」
発表会では他の曲を弾くことも考えましたが、やはり発表会には「水の反映」が最適という結論になり、11月の発表会では「水の反映」を弾くことになりました。

今までのレッスンでも、アルペジオの粒の揃え方やメロディーの歌い方、曲全体の構成などさまざまな指導を受けて、それなりに弾けるようになっていました。しかし、発表会用にレッスンを再開したら、より洗練された演奏を目指して、今まで以上のスパルタ教育が始まりました 中でも一番時間を割かれたのは「アルペジオの粒を揃えること」でした(私から指の問題は切り離せないらしいです)。綺麗に弾けない部分をひとつひとつ取り出して、弾けない原因(どの指に余計な力が入っているか)を特定し、徹底的に部分練習させられました。その他にも、序盤の細かい表現方法を1小節単位で見直したり、難しいアルペジオの中でメロディーが疎かにならないように、メロディーだけを取り出して歌う練習をしたり、ひとつひとつのフレーズをどのような音色で弾くべきか考えたり、最後まで細かい指導を受けました。

正直、途中で挫けそうになりました。飽きてきたこともありました。しかし、約4ヶ月の集中レッスンで、完成度がぐっと上がったのは確かです。11月の発表会では(ミスタッチは多かったものの)ノンストップで演奏することができ、私のピアノ友達や母のお友達(ピアノ講師)にも良かったと言っていただけました。さらに、約半年レッスンを受けた時点の演奏と発表会の演奏とを比べると、自分でも分かりすぎるほど出来が違いました。1曲を深く弾き込むことの大切さを実感しました。自分で譜読みを始めたのが2005年5月頃、レッスンを受け始めたのが2005年11月頃だったので、結局1年半弾き続けたことになります。ひとつの曲をこんなに長い間、しかもこんなにこだわって弾いたのは初めてでした。練習は本当にきつかったですが、この経験は私にとって大きな財産となりました。

◆基礎の徹底
発表会後のレッスン、先生と発表会の話題で盛り上がっていたとき、先生からまたまたこんなことを言われました。
「あのね、発表会でのさんの演奏を聴いてね、バッハのインヴェンションをやったらどうかなーって思ったの」
バッハのインヴェンション!私が学生時代に第1番で挫折した曲集です(笑)先生いわく、インヴェンションは簡単だけど、完璧に弾くのは本当に難しい。その「完璧」を目指して、とにかく指を均等に動かす練習をしてはどうか、ということだ。それに、バッハはベートーヴェンやショパンにもつながる音楽だから、やっておいて損はないと。昔の私だったら、バッハと聞いた時点で強い拒否反応を示していたと思います、しかし、この頃には大人のピアノ友達もたくさんできていて、ピアノは長く続けられる趣味だということが分かってきていました。このまま漫然と好きな曲を弾き続けるよりは、一旦基礎を固めるのもいいだろうと思い、私は先生の提案を受け入れました。そして、生まれて初めて「2声のインヴェンション」のレッスンが始まりました。

しかし、このレッスンが辛いこと辛いこと!またもや「1小節目で止められられる」生活の始まりです。音の強さが均等でない、長さが均等でない、強拍でない部分が強く出ている、手の形を崩さない、重心を一定にして弾く、などなど。言われてみれば基本的なことが全然できません。しかもインヴェンションは音数が少ないので、間違いが目立ちます。第1番が合格するまでにも丸々1ヶ月かかった気がします。

この頃から、先生の私に対する指導方針が変わったなーという感じがします。というか、ひたすら基礎重視スパルタ路線に向かっている気がしてなりません

◆その他
レッスン曲の他にも、連弾オフ会に出るときにはお願いして『小組曲』『ドリー組曲』のレッスンもしていただきました。また、来月にあるmixiコミュの発表会で弾く曲も、レッスンで見ていただきました。モンポウは先生も初めてだったそうですが、気に入っていただけたようです。
その他にも、私が参加したオフ会やコンサートの話などでよく盛り上がっています。先生も、趣味でピアノを弾いている方々の話を興味深く聞いていらっしゃるようです。また、私が先生の知らない作曲家を紹介したり、先生が受けた講習の話を聞いたりすることもあります。ピアノの先生であることには間違いないですが、先生とは「大人になってからもピアノを弾く者同士」として、いい関係を築けていると思っています。


…と、今はこんな感じでレッスンを楽しんでいます(最近スパルタ気味ですが)。明日もレッスンの日です。しかも今回は、今年発表会で弾く予定のショパン「スケルツォ第3番」の初レッスンです 全然弾き込んでない…。

やばい、ちょっと練習してきます
スポンサーサイト
2007/07/27 Fri | ピアノとわたし | トラックバック(0) | コメント(2) |permalink
今までのレッスンを振り返る(再開後・前編)
先日子供の頃のレッスンについて書いたので、今度は再開後のレッスンについて書いてみます。思いのほか長くなってしまったので、まずは前編から…。

ピアノのレッスンを再開したのは全くの気まぐれでした。何か習い事をしたいとは思っていて、習うとしたら音楽系だなーと漠然と考えていました。他の楽器でも良かったのですが、ちょうどその頃「のだめカンタービレ」を読み出したため、ピアノ熱が沸騰。細々と弾いていたピアノも今まで以上に弾くようになり、私ももっとピアノの技術を深めたい!と、気づいたら教室に申し込んでいました。

あまり深く考えていなかった私は、その頃騒音対策のためサイレントピアノに買い替えたこともあり、そのままヤ○ハの教室に入りました。どんな先生になるのか不安はあったのですが、申込み用紙の「弾いたことのある曲」という欄に、当時独学で弾いていた
・水の反映
・喜びの島
・ピアノソナタ「熱情」第1楽章
なんて書いたせいか、指導歴20年以上のベテラン先生に教えていただくことになりました。

◆プライドの崩壊
初レッスンの日。一応それまで12年間ピアノを習っていたので、ある程度の曲ならば独学で弾ける自信はありました。でも、せっかく習うんだからもっと上を目指したいということで、「人前で弾いても恥ずかしくないように、完成度を上げたい」と先生にお願いしました。
脱力の教材のときにも書いたのですが、初めてレッスンを受けるまで、私は腕にめいっぱい力を入れて弾いていました。それを指摘され、まずは脱力演奏を身につけるための練習をすることになりました。
ヤ○ハのレッスンは1回30分。その頃の内容は
脱力練習
ハノン:ハ長調スケール(脱力練習の応用)
ツェルニー30番-1(脱力練習の応用)
でした。
しかし、肝心の脱力ができないできない…。家で練習して「わかった!」と思っても、レッスンに行くと「違うそうじゃない!」と直されてしまいました。ツェルニー30-1に至っては1小節で止められる始末。今までの自分の弾き方が全部間違っていたような気分になり、ツェルニーはおろかバイエルやブルグミュラーから全てやり直したい衝動に駆られました。
そんなレッスンを繰り返すうちに、だんだんコツを掴めてきたのか、脱力練習でOKの出るペースも速くなってきて、少しずつですが自信を取り戻していました。また、その頃独学で練習していた「水の反映」も少しずつレッスンしてもらうようになりました。ただ、脱力の不完全さや技術のなさを思い知り、基礎練習の大切さを痛感していました。

◆曲中心に
ある日、先生に尋ねました。
「基礎的な技術をつけるために、ハノンとかツェルニーとかを使ったいい練習方法はないでしょうか?」
しかし先生の答えはこうでした。
「うーん…。曲の中で練習すればいいんじゃない?」

そして、先生から今後の指導方針とも取れる考えを聞きました。
「もしお子さんだったらそういう練習もさせるけど、大人の方がやるのなら、曲の中に出てくるフレーズで部分練習すれば十分だと思うのよね。練習時間も限られているし。難しい技術が必要になったら、ハノンやツェルニーの該当する練習曲をその都度やればいいんじゃない?」

という訳で、ハノンやツェルニーのレッスンは止め、今後は曲を中心にレッスンすることになりました。先生のお言葉どおり、当時のレッスン曲「水の反映」に出てくるアルペジオの数々は、下手な練習曲よりも難しかったと思います。その代わり、その都度先生に具体的な練習方法を教えてもらえたので、レッスンを受けてよかった…と実感しました。

ちなみに、先生はこんなこともおっしゃっていました。
「ハノンとかツェルニーとか、つまんないでしょ?」

つまんないでしょ ってあなた。

◆古典の洗礼
2006年初レッスンの日、私は先生の元に「弾きたい曲リスト」を持って行きました。内容はよく覚えていませんが、その中にショパンの「舟歌」とラヴェルの「道化師の朝の歌」を入れて、先生に「私も弾いたことないんだけど」と言われたのは覚えています
リストにはベートーヴェンのソナタ「熱情」「ワルトシュタイン」も書いていました。それを目ざとく見つけた先生に、
「ベートーヴェンのこの辺のソナタを弾きたいなら、先に初期のソナタを何か弾いてみない?」
と提案されました。そして、先生から提示されたのが7番と11番 。正直どちらも聞いたことない なので、何も考えず適当に「ソナタ第7番 Op.10-3」の方を選びました。あとで分かったことですが、ソナタ第7番は音大入試やコンクールの予選の課題曲としてもよく選ばれる曲なんだそうです。そうとも知らずに選んだ私に待っていたのは、地獄のような特訓でした…。

ソナタ第7番の第1楽章は、1ページ目から難所が続きます。オクターブのパッセージに三声で歌われるメロディー、そして分散和音などの細かいパッセージ。4小節弾いては止められ、1ページ通して弾けるまでに何ヶ月かかったことやら…。特に分散和音は元々苦手なのもあって、何度弾いても先生に「音の長さが均等じゃない」とダメ出しされていました。しかも、第1楽章は分散和音(またはそれに準ずる細かい音符)の嵐です。
さんは弾こうと思えば弾けちゃうから、もっと細かい音をパラパラっと綺麗に弾けるようにできたらいいと思うのよー」
と先生はおっしゃいます。最初のレッスンで「完成度を上げたい」と宣言した自分を呪い始めました。それでも、分散和音を均等に弾くためのコツを教えてもらいながら家でも部分練習を繰り返し、やっと提示部までOKをもらえたのはレッスンを始めてから実に3ヶ月半後でした。その後、他の曲のレッスンでブランクを置いたこともあり、第1楽章を終えるまでに10ヶ月かかりました。10ヶ月のうちの大半は部分練習に費やした時間だと思います。
ただ、この曲からは非常に多くのことを学びました。手を揺らしてメロディーを弾いたら「それはロマン派の弾き方!」と注意されるなど古典派の弾き方を学んだり、強拍と弱拍の違いを改めて意識したり、強弱を真剣に考えたり(今までは、記号をぱっと見て適当に強弱をつけていたので)。苦手だった分散和音も少し上達したような気もします。
第1楽章の後は、続く第2・3楽章と進み、こちらは比較的順調に合格しました。そして現在、第4楽章に苦戦しています。レッスンを始めてから(ブランクも含めて)1年半が経とうとしています。

(後編につづく)
2007/07/26 Thu | ピアノとわたし | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
今までのレッスンを振り返る(学生時代編)
子供の頃はずっと、同じ団地に住むピアノの上手なお姉さんに教わっていました。私が小1のときにちょうど短大を卒業したばかりで、別の学校(大学?)に進んでピアノを続けていたところでした。どこかの教室でピアノを教えていたらしいので、母が頼んでみたところ、先生のご自宅で教えていただけることになりました。徒歩1分以内で行けるピアノ教室です。

レッスンは毎週1時間。オーソドックスにバイエルから始まり、その後ブルグミュラー・ツェルニーと進み、途中からハノンが加わり、小学校の高学年辺りからは
ハノン
練習曲(ツェルニー・クラーマー=ビューロー)
古典(ソナチネ・ソナタなど)
名曲集 or ロマン派・近代の曲集
聴音
と固定されてきました。ちなみに私は絶対音感があるのですが(両親・妹にはない)、レッスンで聴音をやっていたお陰かなーと思っています。

当時20歳だった先生はとても優しくて、私はほとんど怒られた記憶がありません。ハノンやツェルニーなんて明らかに練習してないのがバレバレなのに、何も言わずに見てくださいました。ただ、やる気のなさはバレていたのか、基本的な曲集(例:バッハのインヴェンション)などには進まず、比較的私の弾きたい曲を尊重してくれました。

◆転機その1
レッスンを始めた頃は本当にレッスンが嫌いで、わざと友達と遊んでレッスンをサボろうとしたこともありました(その度に母に怒られるのですが)。しかし、「エリーゼのために」など有名な曲を弾けるようになってからどんどん面白くなり、自分の好きな曲を弾くために進んで練習するようになりました。1度目の転機です。この頃に弾いたのは「乙女の祈り」「ベニスの舟歌」「アルプスの夕映え」など。発表会で弾く曲を自分で選んだのも、中1で弾いた「花の歌」が初めてでした。

◆転機その2
2度目の転機は、その「花の歌」を弾いた発表会で訪れました。その発表会で私と同学年の女の子が、シューベルトの「即興曲 Op.90-2」を完璧に弾いていたのです。ショックを受けた私は、「発表会では、難易度が高くて演奏会映えする曲が弾きたい!」と決意し、次の発表会ではショパンの「華麗なる大円舞曲」を選んだのでした。今考えると、本当にそのとき「華麗なる円舞曲」を弾けていたのか非常に怪しいですのですが、当時弾けなくて挫折したという記憶はないので、それなりに弾きこなせたのでしょう。ただ、私が「華麗なる大円舞曲」を弾いたとき、件の女の子は「幻想即興曲」をそれはそれは見事に弾いていたんですけどね…。
ちなみに、演奏の参考にと先生からクラウディオ・アラウ演奏の「ショパン ワルツ集」を借りた私は、その魅力に取りつかれ、その後ショパンのワルツを14番までレッスンしてもらったのでした。今でもワルツ第2番「華麗なる円舞曲」は得意です♪

◆転機その3
高1くらいのときでしょうか。ショパンのワルツ集が終わったあと、先生からドビュッシーの『子供の領分』を勧められました。当時私はドビュッシーの曲といえば「2つのアラベスク」しか弾いたことがなく、近代物もほとんど弾いたことがなかったので、正直『子供の領分』はどう弾いていいかわかりませんでした。そんなとき先生が貸してくださったのが、アレクシス・ワイセンベルク演奏の「ドビュッシー名曲集」でした。このCDが、私とドビュッシーとの運命的な出会いでした。CDには『子供の領分』の他に『ベルガマスク組曲』『版画』も収録されていたのですが、『版画』「塔」の東洋的な不思議な響きに一発でKOされ、ドビュッシーのトリコになってしまったのです。そして私はまた、「発表会で『版画』から何か弾きたい」と先生に直訴しました(笑)。その結果選んだのが「雨の庭」でした。高2のときの発表会でした。この曲も夢中になって練習したせいか、今でも貴重なレパートリーのひとつです。
ドビュッシーマニアとなった今では、『子供の領分』がものすごく難しい曲集だということがよく理解できます。今こそもう一度『子供の領分』をやり直してみたいな、なんて思ったりも。

◆中断...
高3になり、受験勉強のためピアノを練習する時間が取れなくなってきました。この頃から、高校で一旦ピアノのレッスンを辞めることを考え始めました。ただ、発表会は毎年5月頃に行われていたので、受験が終わった後の発表会も一応出ることにしていました。
最後の発表会は、先生に選んでもらったシューマンの「ソナタ第2番 第1楽章」を弾くことにしました。例年より早く練習し始めたにも関わらず、ほとんど練習できなくて、しかも受験が終わった後や大学に入学した後はピアノのことなど忘れて遊び回ってしまったため、曲は全く完成に至りませんでした。12回目の発表会にして初めての視奏。しかも、譜読みも怪しいぐらいの出来でした。練習しなかったのが悪いとはいえ、発表会を得意としていた自分にとってかなり悔いの残るものでした。こうして、私のピアノレッスン生活はひとまず幕を下ろしました。

レッスンを始めた頃6歳だった私も28歳になりました。先生はもう40歳を超えているはずです。でも、私の記憶の中には若い先生の姿しかないので、先生の今の姿が想像できません。ピアノを再開して少しだけ上達した演奏を、先生に聴いていただきたい気もします。
2007/06/23 Sat | ピアノとわたし | トラックバック(0) | コメント(4) |permalink
ピアノ履歴書
子供の頃のレッスン曲から再開後のレッスン曲まで、
現在までのピアノ歴をまとめてみました。
並べてみると結構な量になって驚きます。

⇒ 続きを読む
2007/06/06 Wed | ピアノとわたし | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
    home    
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。